Robyn Magalit Rodriguez, 2011, "Philippine Migrant Workers Transnationalism in the Middle East." International Labor and Working-Class History (79): 48-61.
私がはじめてミグランテ(Migrante)・UAE代表のN氏と出会ったのは、2008年6月に香港で開催されたIMA(International Migrant Alliance)の創設会議であった。ミグランテとは、フィリピン人海外労働者の権利向上を目的としたフィリピンのNGOである。ミグランテ・日本の友人に一緒に行かないか、と誘われ、興味本位でついていったのだ。
新自由主義経済のグローバリゼーションが進行する現在、国際移民労働者は商品化される傾向にある。会議には、このような流れに反対する世界各国の国際移民の団体が集まり、意気軒昂に議論をかわしていた。N氏も積極的に議論に参加していた。
その後、2009年2 月にはじめてUAEを訪れ、ドバイでN氏と再会した。NGOなどの市民活動や結社が許されていない中東湾岸諸国だけに、UAEでもミグランテは事務所のようなものを構えていなかった。しかし、携帯電話やメールで連絡をとり、問題に直面したフィリピン人労働者の救済活動を行っていた。また、ドバイの領事館で開催されるフィリピン人の会議では、
臆することなく領事館関係者の対応不足を批判した。N氏の紹介で、2012年3月にはミグランテ・カタール、2013年3月にミグランテ・サウジアラビアを訪ねた。いずれのミグランテも、当局の監視をさけながら困難に直面したフィリピン人労働者の保護にあたり、当該国のフィリピン大使館や領事館に問題への対応を迫っていた。その献身的かつ精力的な活動には、頭が下がる思いであった。
Rodriguezの論文は、ミグランテ・中東(Migrante Middle East)の活動に焦点をあて、それがマニラに本部をおくミグランテ・インターナショナルに連携しながら、いかにトランスナショナルな活動(transnational activism)を展開しているか、を述べたものである。著者自身はフィリピン系アメリカ人であるが、この調査は、マニラのミグランテ・インターナショナルで1997 年に2か月間、
2001年に7か月間行ったエスノグラフィックな調査にもとづいている。
この論文で一番興味深いのは、サウジアラビアでおきたフィリピン人労働者のストライキ(work stoppage)と、それを支えるミグランテの運動にかんする記述である。2009年9月以降、サウジアラビアのAnnasban Groupという会社に雇われたフィリピン人労働者がつぎつぎにストライキをおこした。理由は契約よりも安い給与支払いである。ストライキをおこした労働者はミグランテ・中東に連絡をとり、
同時に労働者の親族がマニラのミグランテ・インターナショナルに報告した。そして、お互いに連絡をとりながら、それぞれがサウジアラビアのPOLO(Philippine Overseas Labor Office, フィリピン海外労働事務所)やマニラのPOEA(Philippine Overseas Employment Administration, フィリピン海外雇用庁)に、Annasban Groupへの労働者派遣禁止を働きかけた。政府側の対応が2ヶ月たっても遅々として進まな
いことに業を煮やし、とうとう労働者がハンガーストライキにうってでた。その結果、時間はかかったが、2010年8月にPOEAはAnnasbanに労働者を派遣している派遣業者の営業を一時停止することとした。
サウジアラビアは1970年代よりフィリピン人海外契約労働者の出稼ぎ先としてはナンバーワンである。しかし、労働者以外の外国人の入国を厳しく制限しているため、実態があまり知られていない。社会行動が厳しく制限されているため、外国人労働者が主体的に行動することが許されていないとのイメージが強い。しかし、実際にサウジアラビアを訪れてみると、公共空間での行動が制限されているなかでも、
外国人労働者はいろいろな戦略を駆使して、主体的に行動している。本書に描き出された事件も、サウジアラビアにおけるフィリピン人労働者自身の主体的な行為と、それを支えてフィリピン政府を批判するミグランテ・中東とミグランテ・インターナショナルのトラスナショナルな活動を実証的に描いている点でたいへん興味深い。
著者はこのようなトランスナショナルな活動の存在を示すことにより、そこに筆者が「移民市民権(migrant citizenship)」とよぶものが立ち現われていることを示唆している。これは、Yasmin Soysalがヨーロッパの移民労働者のホスト国における市民権が、もはや国籍によって規定されるものではなく、経済、市民、社会、文化的な権利をもってホスト国に要求できるようになっていると指摘したことに対し、
対比の結論を導くものである。すなわち、中東湾岸諸国のように、外国人労働者にほとんど権利を与えない地域では、ホスト国に対して権利要求をすることはできず、フィリピン政府を通じた交渉になる。自国に不在な移民であっても、自国政府に権利を要求する。すなわち、移民市民権が確立しているというのである。
しかし、前述のサウジアラビアでの事例に映しだされる権利要求のありかたをふまえて、そこに移民市民権が確立していることを読み取ろうとすることには、あまり説得力をおぼえなかった。Rodrigeuzは、著書Migant for Export: How the Philippine State Brokers Labor to the World (Minneapolis & London, University of Minnesota Press, 2010)では、フィリピン政府側に焦点をあてて、
いかにして政府が「移民市民権」を労働者に付与しようとしているのかを論じている。新自由主義経済のグローバリゼーションのなかでは、フィリピン政府は労働者を保護することよりも、売り込みに比重をおく。すなわち、国家ブローカー(State Broker)として立ち現われるという。そして、国外に流出した自国民労働者の送金を確実にするために、彼らを移民市民としてつなぎとめておく、さまざまな装置が考案される。
移民市民権の出現にかんする考察については、フィリピン政府側に焦点をあてた著書において、より説得力をもって論じられていたように思われた。
Breeding Mary, 2012, “India-Persian Gulf Migration: Corruption and Capacity in Regulating Recruitment Agencies”,Migrant Labor in the Persian Gulf.eds. in Mehran Kamrava and Zahra Babar , pp. 137-154.Columbia University Press.
本論文は、昨年出版された湾岸諸国への移民労働者をテーマにした論集の一篇(第7章)である。本論集については、本ページで既に細田が紹介しているので、全体の説明は省略する。
著者のブリーディングは、米国のアメリカン大学で政治学の修士号・博士号を取得した後、現在は世界銀行の独立評価グループのコンサルタントをしている。本論文は、特に移民労働者の斡旋・派遣に焦点を当てている。移民労働者が湾岸諸国に行って仕事をする上で関わりのある三つのステークホルダー―認可
された労働者派遣業者、無認可の派遣業者、そして政府関係者―に対して、送り出し側のインドと受け入れ側のカタールにおいてインタビューを行い、その過程で収集されたデータが提示されている。
 インド政府は、2004年に在外インド人省(Ministry of Overseas Indian Affairs)を設立した。湾岸諸国に労働移民を希望するものは、在外インド人省に認可された派遣業者を通じて職を探すことになってはいるものの、現実は無認可の業者や知り合いの紹介を通じて湾岸諸国に向かう人々も多い。著者は、
インドにおける派遣業者とのインタビューを通じて明らかになった点として、以下3点を挙げている。(1)派遣業者、特に認可派遣業者は都市部に事務所を構えているものの、派遣される労働者の出身地は事務所の近辺ではなく、農村部であることが多い。たとえば、デリーやムンバイの派遣業者の事務所を通じて派遣されるのは、
タミルナードゥ州やアーンドラ・プラデーシュ州の人々である。(2)グローバルな金融危機の影響が労働者派遣業にも出てきており、市場が縮小している。また、インドにおける賃金が上昇しており、湾岸諸国行きを希望するインド人の数自体が減少している。(3)在外インド人労働省は、業者が派遣労働者に対して請求できる
料金を最高1万ルピー(日本円で約1万5千円)と決めているが、実際に請求されている金額は4万(6万円)~5万ルピー(7万5千円)である。更に著者は、(2)にあるように、湾岸諸国での労働を希望する人々の数が減少していることから、派遣業者は湾岸諸国での労働実態に関する情報が比較的得られやすい都市部よりも、
農村で派遣希望者を探すことが近年多くなっていると指摘する。
これまで良く分かっていなかった労働者派遣業者の実態について明らかにしたという点で、本論文を評価することができる。だが、気になる点もいくつかある。その一つが、調査を実施した4都市、ムンバイ、プネー、バンガロール、ゴアを同等に扱っている点である。まず、ゴアは一つの都市ではなく州である。
他の3都市が600万人以上の人口を有するのに対し、ゴアは州といっても人口は140万程度しかない。また、インド随一の大都市であるムンバイ、文教都市のプネー、IT都市のバンガロール、観光地のゴアというように、それぞれに特徴がある。さらに、歴史的に、ゴアのキリスト教徒はオイル・ブームの始まる1970年代以前から移民労働者
として湾岸諸国に渡っているという点にも注意する必要がある。このような違いが、ムンバイ、プネー、バンガロール、ゴアの労働者派遣業者のビジネスのやり方に影響を与えているかどうか知りたいところである。
(松川 恭子)
Glenda Tibe Bonifacio and Vivienne SM. Angeles, eds. 2010.Gender, Religion, and Migration: Pathways of Integration. pp. 314. Lexington Books.