移民とシティズンシップ研究会

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科学研究費助成事業 基盤研究(B)  2018〜2020年度 番号18H00784「アジア系「湾岸アラブ諸国型移民二世」のシティズンシップと生存戦略の研究」

関連情報

関連文献紹介

Geoff Harkness, Changing Qatar: Culture, Citizenship, and Rapid Modernization. (New York University Press, 2020)

社会学を専門にする筆者が、2010年から2013年までノースウェスタン大学カタール及びカーネギーメロン大学カタールで教鞭をとった経験を端緒とし、カタールの社会の発展及び変革について、文献調査と現地観察、インタビュー調査を手掛かりに考察している。特にインタビュー調査は、2010年から2014年までの期間で130人の人物に対して実施され、これらの情報が分析の中にふんだんに取り入れられている。一方で、専門書と一般書の中間のような書き方となっているため、比較的読みやすく、カタール社会全体を概観するのに適した文献になっている。

内容としては、Modern Traditionalism(現代的伝統主義)の概念を手掛かりに、イスラームの宗教的な厳格さや伝統文化・国民のプライオリティを維持しながらも、グローバル化の進行から欧米的価値観(自由、開放性、民主主義、寛容など)を取り入れ、国家のブランディングや社会構築に利用しようとする発展の方向性を記述している。そして、そうしたModern Traditionalism が現れる様相について、スポーツ、服装、性や恋愛・結婚、外国人や労働者といった幅広いテーマを取り上げている。考察では、これらのテーマにおけるModern Traditionalism の実現には現時点で限界があること、また、そうした社会の実現に対する政府の役割は限定的であり、個々人の努力や工夫によって緩やかに進められていることを指摘している。

(中島悠介)

Susanne Wessendorf, Second-Generation Transnationalism and Roots Migration: Cross-Border Lives (Routledge, 2013)

スイス在住の南イタリア移民2世(1.5世を含む)に関する詳細な民族誌。聞き取りしたライフコースを分析し、2世の間には、それぞれが馴染んだ文化的環境、社会関係、言語等により、「典型的なイタリア人」(typical Italians)、「スイス系イタリア人」(Swiss Italians)、「ルーツ移民」(Roots migrants)といった、いくつかの経路(pathway)がみられることを明らかにした。このように移民二世のトランスナショナリズムや社会統合には、個人的な経験や、家族や社会的な環境によって多様性がみられるため、1世代と異なり2世になるとホスト国に統合されていくという一般的な想定を批判した。特に、ヨーロッパの移民二世のトランスナショナリズム研究において、roots migraton現象を多面的に描いたことで注目された著作である。本書を読んで考えさせられることの一つは、著者が「holiday transnationalism」と名付けた、移民2世が毎年親の故郷で休暇を過ごす経験が彼らの空間イメージに及ぼす影響力の大きさだ。故郷で成長した移民1世と違い、2世にとってそこは(自らの国籍がある場所であるにもかかわらず)休暇を過ごす場なのである。同様に、湾岸アラブ諸国で育った移民2世も休暇中に親の故郷を訪れることが多いが、かれらの帰属意識を理解するにはその「故郷」訪問時の体験や感覚を考慮することは重要だろう。

(細田尚美)

Zahra Babar (ed.), Mobility and Forced Displacement in the Middle East (Hurst, 2020)

本書は、西アジアや北アフリカの中東地域における人の移動と強制移動について、実証的研究を集めた編著である。各論考は、中東における人間の移動の起源、結果、および経験の多様性を、学際的な観点や事例研究を通して明らかにしている。その根底にあるのは、人間の流動性を逸脱とみなしたり、国家の治安を乱すものとして認識したりするのではなく、人的・文化的交流によって人間社会が作られてきたことを前提にすべきだという問題意識である。

また本書は、中東における人の移動に関して以下の4つの視座を提供する。第一に、人の移動には、個人の選択による自発的な移動と、それ以外の選択肢が与えられない非自発的(強制的)移動があるとみられているが、それらのいずれかに同定できるのではなく、むしろ人の移動はこの二者間にあり、個人や環境といった微細な動機によって程度差があるとみるべきである(第6章、第7章、第10章)。第二に、国家や人道機関が管理し対処しやすくする目的で、移動する人は難民、経済移民、亡命申請者、非正規移民、強制避難民などとカテゴリー化されてきたが、単に分類化し型に押し込めるだけでは、かれらがさまざまな場所で経験する複雑なリアリティが見えてこない。ましてやカテゴリー化には政治性がともなう。移動する人の本国との国際関係によって立ち現れる文脈と代表性、家族内の親子や性別による経験の多様性など、マクロ的視点とミクロ的視点の双方から、動態的に個人を理解していく必要がある(第2章、第4章、第6章、第9章)。第三に、個人の移動の権利とその制限を行使する国家の権利との間の緊張が最もみられる物理的・社会的空間として国境に注目する。平時において人びとの社会経済的なつながりの上に成り立ってきた国境地域は、非常時に国家の支配が強化され、その意図に見合った人やモノの流入のみが許される国境管理がなされるように、国境では移民と国家の間の支配と争いのダイナミクスがより顕著となる(第2章、第3章、第4章)。第四は、アイデンティティのレジリエンスが与える人の移動への影響である。強制移動によってトラウマが生まれ、個人のアイデンティティ変容に大きく作用するが、他方で、家族やコミュニティなどの記憶や経験が帰属意識を維持させ、人の移動をさらに促進、あるいは抑制させる(第5章、第6章、第7章、第8章、第9章、第10章)。

(渡邉暁子)

Mirca Madianou and Daniel Miller, Migration and New Media: Transnational Families and Polymedia (Routledge, 2012)

本書は移民家族、主に英国で出稼ぎ労働をするフィリピン人の母親と自国に残された子供が様々なメディア媒体を活用してどのように遠距離間における親子の繋がりを模索、維持しているのかに着目した研究である。英国に移住した母親とフィリピンに残された子供両方からの視点で遠距離親子間のコミュニケーションの実態を詳細に描き出している点、またその背景にある感情や用途によって選択されるメディア媒体の実情も分析している点において、本書は移民研究、メディア研究、物質文化研究を組み合わせた新たな知見を提供している。グローバルに移動する移民たちにとって、通信機器やメディア媒体は自国にいる家族や友人とコミュニケーションをとるうえで必要不可欠な存在であることからも、本書のフィリピン人移民の事例から読み取れる現象は湾岸地域の移民の事例にも応用することができるのではないかと考える。

(後藤真実)

Dennis Conway and Robert B. Potter (eds.), Return Migration of the Next Generations: 21st Century Transnational Mobility (Ashgate, 2009)

本書の編者であるコンウェイとポッターは、カリブ海諸島地域をフィールドとしてきた地理学者である。カリブ海諸島における帰還移民(return migration)の考察を行ったポッターの2005年刊行の前編著The Experience of Return Migration: Caribbean Perspective (Ashgate)での議論を、他地域の事例を含めて発展させている。

本章における議論を概観する第1章で、コンウェイとポッターは、移住先で生まれた移民第2世代や幼い頃に両親と一緒に移住した1.5世代が故地に戻ってくる近年の現象に我々の注意を促す。従来の移民研究では、第二次世界大戦後に自国では得られない良い生活、教育機会を求めて海外に出ていった人々の流れが分析の対象となってきたと彼らは述べる。移民第1世代は、望みが果たされた後にはグローバル・サウスの故郷に帰還する意志を持った人々であった。それに対して、「新しい世代(New Generations)」とコンウェイたちが呼ぶ若者たちの帰還の理由は様々であり、また、彼らは一旦「故郷」に帰還した後に、もう一度移民先の国に戻る可能性、さらには二国間を行き来する可能性も視野に入れている。このような新しい動きとしてどのような現象が具体的に生じているかが、第2章以降で検討されている。

第1部「第2世代の帰還移民の経験」は、5つの章で構成されている。第2章はサモアの帰還移民の経験を扱う。ニュージーランドなどに親が移民し、現地で生まれた第2世代(あるいは幼い時に親と一緒に移民した1.5世代)の帰還の経験を6つのカテゴリー(①’Service to Family’、②Cultural Seekers、③Social Idealists、④Professionals、⑤Entrepreneurs、⑥Explorers)に分けてインフォーマントの語りから分析している。第3章は、トンガの帰還移民の事例が提示される。オーストラリア、ニュージーランド、アメリカに移民した後、戻ってきた若い世代の人々の経験が考察される。トンガを助けたいという人々、トンガ文化の伝統を学びたいという人々、トンガの文化を身につけるために学校に入れられた若者などの事例が提示される。彼ら/彼女らは、帰還においてトンガの慣習への戸惑いなどを経験する。一旦移民先の国々に戻り、退職後には戻ってくるかもしれないという意識を持つ人々もいる。第4章は日系ブラジル人の帰還経験についての分析である。20世紀初頭にブラジルに移民した日本人の子孫である日系ブラジル人は、1980年代・90年代の日本における労働力不足を補うために多数が来日した。これは、日本政府が入管法を改正して日系人の就労を可能とする在留資格を創設したことに端を発する。彼らの多くは製造業に従事した。家族で来日し、子どもたちが日本の学校に就学すると、両親はポルトガル語を使い、子どもたちは日本語の方が得意になり、家族間のコミュニケーションの困難という問題が生じるようになった。また、子どもたちは日本語で会話できるものの、読み書きに問題があるため未熟練労働者として就労する者が多く、ブラジルにも戻った者もポルトガル語能力が不十分であるため、低賃金の職にしか就けないという問題を抱えている。第5章は、カリブ海地域のバルバドスにおける帰還移民の考察である。イギリスから帰還した人々は、イギリス社会で差別の対象だった肌の黒さがバルバドスでは気にならない、イギリス英語アクセントが職を見つけるのに有利であるといった語りをする。だが、実際は、肌の黒さについての差別は残っている。これは植民地時代に構築されたものである。また、帰還移民の若者たちは、現地で友人関係を構築するのが難しく、「イギリス出身者は狂っている」という現地の人々の言説に困惑するといった問題を抱えている。彼ら/彼女たちは、自分たちが狭間の状況(in-betweenness)にあることを意識している。第6章は、ギリシャ系アメリカ人の女性2名の手記を考察することで、帰還移民のエージェンシー、帰属意識、アイデンティティとジェンダーの問題をプロセスとして捉えている。

第2部「若者・青年の帰還移民経験」は、4章から構成される。第7章は香港からカナダに移民した中国系移民がライフコースにより二つの地点の間を移動する様相を描き出す。居住はカナダ、ビジネスは香港というように二つの地点は目的が異なる。カナダのパスポートを取得した後、子どもが就学年齢であれば、教育のために妻と子どもはカナダに残り、夫が香港にビジネスの拠点を置いて「宇宙飛行士」のように太平洋を越えるシャトルに乗って二つの地点を頻繁に移動する生活を送るケースもある。彼らは退職後の生活はカナダで送るという展望を持つことが多い。第8章は、ポリネシアのクック諸島とニウエ島に帰還した看護師と医師の経験を扱っている。ニュージーランド等の島外で教育を受け、仕事をしてきた医療従事者たちは、故郷に帰還することで技術を島に持ち帰ることになる(brain-gain)。彼らは主に家族の関係で帰還してきたが、島での医療従事者に対する待遇は総じて良くないため、移民先に戻ることを考える人が多い。また他の場所に移民していく人々もいる。第9章はトリニダード・トバゴへの若者の帰還移民経験を扱う。分析対象は、単身で主に教育のために外に出た長期滞在者(prolonged sojourners)である。彼ら/彼女たちの帰還の契機は、老齢の親、子どもを育てる環境の良さなど様々である。カナダやアメリカなどにいる間もトリニダード・トバゴの家族や友人とコミュニケーションをとり、休暇の旅に帰国していた人々も多い。ただし、帰還後、職場での仕事のやり方が移民先とは異なるため問題を感じた人々が多くいることがわかったという。第10章は、オーストラリアの統計から知識・技術を持った労働者が外に出た後に戻ってくる「頭脳循環(brain circulation)」が起こっていることを明らかにしている。

以上を踏まえ、まとめである第11章で、コンウェイとポッターは、21世紀の「新しい世代」の帰還移民の経験を考察するにあたって重要なポイントをいくつか挙げる。一つ目は、地理的特徴である。例えば、カリブ地域は植民地として従属していた過去を持ち、近年、経済的に大きな変容を遂げている地域である。地域ごとにどのような背景を持っているかを理解した上で若者たちの動きを捉える必要がある。二つ目は、年齢とライフコースのステージによって戦略的に移動しているという点である。これは、特に香港とカナダの間を行き来する中国系移民の傾向によく現れている。三つ目は、若者たちの家族との関係である。年老いた両親の世話や子どもの生育環境を考えて帰還するというケースも多い。

「新しい世代」の帰還は、出稼ぎ先から退職のために帰還するという移民第1世代の一往復したら終わりという移動経験ではない。「新しい世代」は移動を続け、トランスナショナルな繋がりを維持し続ける。また、彼らが知識・技術を持った人々であり、「頭脳循環」という観点からも彼らの移動を捉えることができる。

本論集で提示された「新しい世代」の特徴は、湾岸アラブ諸国生まれの第2世代(あるいは1.5世代)の経験とも通じる点がある。インド系移民の第2世代が「故郷」であるインドに戻った時の適応の問題、移民先と親の出身地である帰還先のどちらにも属さない「狭間にいる」状況、また、教育、就労、子育てなどの目的に合わせた継続的な移動などである。このような現象は、コンウェイたちが指摘していたように、湾岸アラブ諸国という地理的特徴を踏まえ、考えていく必要があるだろう。

(松川恭子)

Saud Al Sanousi, The Bamboo Stalk (Hamad bin Khalifa University Press, 2016, translated by Jonathan Wright, paperback edition; first published in Arabic in 2012 by Arab Scientific Publishers, Inc.; first published in English in 2015 by Bloomsbury Qatar Foundation Publishing)

本作品は、クウェート人作家でジャーナリストのAl Sanousi氏(1981年生まれ)が2012年に出版したアラビア語小説の英訳版である。主人公は、José MendozaとIsa Rashid Isa al-Tarouf という2つの名を持つ男性であり、クウェートの由緒ある部族(al-Tarouf)の成員である父と、フィリピンの経済的窮乏からal-Tarouf家でメイドとして働いていた母とのあいだに生まれ、2つの異なる文化のあいだで葛藤する様子が、一人称によって綴られている。両国のマクロヒストリーを背景にしながら、異なる文化や宗教、経済状況にある2つの社会で板ばさみになりながら、自らのアイデンティティや居場所を探り、彼なりの結着の仕方が描かれている。
 本作品が執筆された背景は、湾岸アラブ地域で働く外国人労働者が、なぜ自分たち(クウェート人を初めとする、アラブ人やGCC国民)に対して否定的な態度を示すのかという疑問をAl Sanousi氏が持っていたことにある。そこで、クウェート人が、シティズンシップや社会統合の観点から自らのアイデンティティをどのように規定しているのか、何をもって自他を区別しているのか、その「他者」はどのような社会環境に生きてきたのかを知る必要があると考えた。そこで、筆者は6ヶ月間フィリピンに滞在し、クウェートにおいてメイド、運転手、同僚といった「労働者」の姿しか知らないフィリピン人の生きてきた社会を経験し、彼らがクウェートに就労する背景と要因を理解し、それを丹念に作品のなかに落とし込んだ。実に作品の半分弱のページを、フィリピンを舞台にしたのである。こうした一般小説における外国人の描かれ方は、当時のアラブ社会では斬新であったと評価されている。
 とはいえ、本作品は、クウェートのシティズンシップ、国民性、差別の点からクウェート社会に切り込んだ。主人公による一人称を用いたことで、筆者の見解が間接的に提示されて国内からの非難を最小限に留めたが、検閲の対象となった。結局、カタールで出版されたが、出版後は瞬く間に湾岸アラブ地域の人びとの間で読まれ、ついにはドラマ化され、ラマダンの時期に放映されることとなった。
 本作品のタイトルで暗示されているように、竹は、根がなくとも移植することができ、見知らぬ土地でも新たに根を出して育つことができる。これを人間に置き換えたとき、過去とは切り離され、家族、友人、社会との新しい関係を築き、新しいアイデンティティを持ち、そこに根を下ろしていけるのかという問いを筆者は投げかけている。作品内で描かれた、クウェート社会の表面的な多様性と社会の深部における厳密な自他の差異化、国籍を保有することと国民の家族に受け入れられることの違い、小さなムラ社会においても階層付けする人びとの性質。どれをとってみても、言語、習慣、外見等「はざま」に生きる人が、居場所を見つけることができない状況を示している。
 主人公と同じように、国籍と家族、伝統と革新、物質的豊かさと精神的豊かさ、といった狭間で、ジレンマを抱えながら生きる人たちが登場している。彼らもまた、主人公と同じように悩み、折り合いをつけながら生を営んでいる。本作品の英語版も出版され、広く人びとに読まれてきた経緯には、クウェートやフィリピンという国を超え、グローバル化され、ポスト植民地主義的現代に生きる我々に共通する「自分探し」や「居場所探し」というテーマが潜んでいるからではないだろうか。

(渡邉暁子)

Neha Vora, Teach for Arabia: American Universities, Liberalism, and Transnational Qatar (Stanford University Press, 2019)

本書を執筆しているVoraはラファイエット大学(Lafayette College)の准教授であり、人類学を専門としている。2013年には Impossible Citizens: Dubai's Indian Diaspora(Duke Univ Press)を刊行し、湾岸諸国の在留外国人に関する研究を継続的に行っている。
 本書は、筆者のカタールにおける外国大学分校での滞在・教育経験をもとにして、米国の自由主義的な思想や教育手法を基盤にして展開する分校の教育環境と、導入先のカタールにおけるローカルで非自由主義的な思想や社会環境の間に、どのような対応や葛藤が見られるのかについて鋭く切り込んでいる。例えば、米国の外国大学分校はカタールにおいて質の高い教育を提供し、学生の質を向上させることにある程度貢献している一方で、能力と学位を持つカタール人女性が男性中心の労働環境において適合することが困難であったり、外国人学生の卒業後の労働環境において現地国民との待遇に差があったりするという、様々な局面での「ズレ」を丁寧に描写している。また、外国大学分校における学生や教職員へのインタビューを積み重ねることを通し、米国の自由主義的な高等教育のあり方を批判的に捉えなおすという点に、本書の大きな特徴があるといえる。

(中島 悠介)

Katie Walsh, Transnational Geographies of the Heart: Intimate Subjectivities in a Globalising City (Wiley Blackwell, 2018)

ドバイにおける特権的な移民(イギリス人を中心とした「白人」)の生活世界に関する貴重な民族誌だ。研究対象をイギリス人としているだけでなく、親密性や感情といった地理学では新しいテーマを取り込んでいる意味でも斬新な研究といえる。親密なつながりを欲する感情は移民の生活にとって重要な要素であることを例示しただけでなく、イギリス人が築く親密な関係の多様性を記述することで、移民を細分化し階層化して管理するドバイという社会空間と移民の主体性を具体的に描きだすことに成功している。ただ、本書の民族誌的記述の内容は、「expats」と呼ばれるアジア系中間層やアラブ系中間層にも通じる事柄が多く、「白人」とそれ以外の移民の差はどこにあるのだろうかと、ふと思った。さらに、湾岸アラブ諸国以外の国々で働くイギリス人駐在員たちと比べるとどうなのかという点も気になった(どこまでが「ドバイ的」といえるのだろうか?)。その意味で、本書の魅力は関連する他の民族誌と比較することで一層引き出せるのかもしれない。

(細田尚美)

Zahra Babar (ed.), Arab Migrant Communities in the GCC (Hurst, 2017)

本書は、編者 Zahra Baba rが所属したジョージタウン大学カタール校、国際地域研究センターの助成金を受けた調査研究(2012~14年)の成果をまとめたものである。全11章から構成される本書は、社会学、教育学、人類学、人口学、経済学の分野の大学研究者や調査機関研究員などが執筆した論集である。
 本書の目的は、GCC(Gulf Cooperation Council)諸国におけるアラブ移民コミュニティの動態を知ること、とりわけ、アラブ移民の受入国と送出国の間にみられる移動現象とその推移、社会的構成、経済状況、帰結を理解することである。GCC諸国は世界で第3位の移民労働者受入地域であり、これまで南/東南アジアや欧州の移動労働に関する政治経済的・社会文化的研究は数多く行われてきたが、アラブ域内での移動現象については等閑視されてきた。そこで、本書での執筆者らは、GCC諸国において the other Arabs と括られるアラブ移民コミュニティの位置づけや特徴を定量的に捉えるかたわら、パレスチナ人、エジプト人、ハドラミ、レバノン人といった特定の集団を対象に、かれらがGCC諸国に移動することの意味や、彼らの移動がもたらした社会の変化を実証的に研究した。それにより、GCC諸国におけるアラブ人移民の特殊性と一般性、他の移民労働者受入地域との共通点や相違点を浮き彫りにすることを試みた。
 本書の成果は、以下の点にある。第一に、アラブナショナリズムの標榜に基づいた中東の一体性や相互補完性の希求よりも、むしろGCC諸国においては、新自由主義的経済政策や、より賃金の低い労働者を求める経済的合理性、さらには自国民優遇主義が優先されていたという点である。これは、地理的・文化的優位性を持っていたアラブ人が、特定の職を除いて、遠距離で異なる文化を有するアジア人に取って代わられてきた経緯を裏付けるものでもある。家族の帯同を求め、長期に滞在する傾向が強く、自国民と競合する職に就くアラブ人に対し、アジア人は、単身で移動し、比較的短期で、低賃金でもどのような職に就く。アラブ人人口の増加は、GCC諸国における参政権や永住権といった移民の権利要求のほか、アラブの春などの政治的問題を萌芽させる脅威となりうる。GCC諸国においてアラブ人人口が抑制されてきた背景には、少数の自国民の権利を守るという国家体制の維持と大きく関係している。
 第二に、GCC諸国にとってアラブ移民労働者は矛盾する存在でもあり、多様でもあることが明らかになった点である。前段落で示したように、アラブ移民は特定の職種において必要とされるものの、文化的親和性が高いがために国民統合の脅威ともなりうるし、政治運動の文化を持ち込むことで首長国の基盤を揺るがしうる。ただ、アラブ移民労働者は一枚岩的ではなく、1991年のイラクによるクウェイト侵攻に対する本国の政治的態度と同国出身者の待遇の違い、国籍ごとの位置付けの違い、職種の多様化とその一方での狭小化、kafil や mu’azzib の言葉に代表されるような自国民との法的/儀礼的関係性とその歴史的背景、受入国や自国民に対する世代間の差異、従事する職業による国籍間の序列など、the other Arabとひとくくりにできない様相が浮き彫りになった。
 最後に、アラブ人移民を対象にすることによって、移民労働者受入国としてのGCCの特殊性や一般性が描かれた点である。事実、GCC諸国は、シティズンシップ取得を管理するスポンサー制度、国民と外国人との間の極端な差異と分断、女性国民の非就労、国民の社会的不自由、気まぐれな制度変更、国民との間のわずかな交流といった特徴を持つ。しかし、GCC諸国への移動のプッシュ=プル要因、自国民との表面的な関係性、ニッチ産業での外国人就労、送金による自己の承認や家族関係の維持、世代間の確執、第二世代の葛藤などは他地域とも存在するものであり、GCC諸国を例外的に捉えがちな既存研究を批判する論集となっている。
本書には積み残した課題もある。まず、実証的研究が多いものの、総じて新しい理論を提示していたわけではない。また、いくつかの聞き取りを通して、クウェイト人やカタール人など自国民から捉えたアラブ人移民像を紹介したが、それらが一般的な「自国民」の生活に基づいた見解であるかというと、議論の余地が残る。The other Arab とアジア人との間の交流や関係について日常生活に密接して描かれると、さらにこの地域における移民労働者同士、移民と自国民との関係の複層性が理解できたであろう。とはいえ、GCC諸国におけるアラブ人移民を対象とした本書は稀少であり、中東地域の人の動態を知るための必読書であろう。

(渡邉暁子)

Neha Vora, ‘Between Global Citizenship and Qatariztion: Negotiating Qatar’s New Knowledge Economy within American Branch Campuses,’ Ethnic and Racial Studies, vol.37, no.12, pp.2243-2260, 2014.

本論文を執筆しているVoraはラファイエット大学(Lafayette College)の准教授であり、人類学を専門としている。2013年には Impossible Citizens: Dubai's Indian Diaspora (Duke Univ Press) を刊行し、湾岸諸国の在留外国人に関する研究を継続的に行っている。
 本論文は、カタールにおける海外分校に就学する外国人学生が、米国のグローバル・新自由主義的な教育・大学のあり方と、カタールにおける階層的で自国民優遇の社会環境に挟まれながら、どのように自己を形成しているのかを、民族誌学的なアプローチから考察している。従来、米国大学の海外展開については高等教育制度や比較教育学の観点から論じられることが多いが、本論文では海外分校に就学する外国人学生個人に焦点を当て、2010年から2012年の間に行われた計半年間に及ぶ調査を通して得られた情報から、多様な価値観の併存させて折り合いをつけている外国人学生あり方を示している。また、最終的には海外分校における「グローバルな市民性」と対比させる形で、米国大学における排他性やエリート主義といった課題を浮き彫りにする形で論じている。

(中島 悠介)

Abdulhadi Khalaf, Omar AlShehabi, Adam Hanieh (eds.), Transit States: Labour, Migration and Citizenship in the Gulf (Pluto Press, 2015)

国際政治経済の視点から湾岸アラブ諸国の国際労働移民について書かれた論集である。編者は湾岸諸国の移民や社会に関する著作の多い社会学、地理学、政治学の研究者だ。移民労働者を中心に据えて湾岸アラブ諸国の多様な側面を描くこと(階層、ジェンダー、都市、国家)を目的としている。Transit Stateというタイトルは世界中から集められた労働者を一時的労働力として使い資本の蓄積を行う国家という意味で使われている。第1部(1~3章)は歴史と社会構造、第2部(4~6章)は移民政策、都市の政治経済、ジェンダー、第3部(7~9章)は多様な移民の状況について書いている。10章は結論で、どのように移民労働者の状況を改善できるかを述べている。各章とも読みやすく、移民とかれらを取り巻く社会・政治状況の概要を知るのによい。結論の内容は特に新しい指摘ではなかったが、ほぼすべての章がしっかり書かれており、構造論からの湾岸移民の基本的文献といえる。

(細田尚美)

Aihwa Ong, Flexible Citizenship: The Cultural Logics of Transnationality (Duke University Press, 1999).

本書は、著者のオングが1990年代後半に発表した論文をまとめたものである。オングは、マレーシア出身の人類学者であり、カリフォルニア大学バークレー校教授である。

本書は、デイヴィッド・ハーヴェイのいう資本主義のフォーディズムから「フレキシブルな蓄積」への変化の中、華僑・華人が様々なレジーム(ネーション・ステート、市場、家族)の拘束を受ける中で、いかにしてトランスナショナルに動いているのかを分析している。特に「文化的ロジック」(例えば、4章で出されている”guanxi”)に焦点を当てているのが特徴的である。同じ著者の2006年に出版された Neoliberalism as Exception: Mutations in Citizenship and Sovereignty (Duke University Press) が日本語に翻訳され、2013年に『《アジア》、例外としての新自由主義』(加藤敦典・新ヶ江章友・高原幸子(訳)、作品社)の邦題で出版されている。

(松川恭子)

Engin F. Isin, Peter Nyers, Bryan S. Turner (eds.), Citizenship between Past and Future (Routlege, 2008)

編者は、国際政治学の Engin F. Isin、政治学の Peter Nyers、および社会学の Bryan S. Turner である。

本書は、従来の citizenship の概念から抜け出し、アイデンティティや市民参加、エンパワーメント、人権、公益について分析する際の主要な戦略的概念として citizenship を扱うこと、また、citizenship の意味、重要性や実践についての議論を深めることを目的としている。13本の論集のうち9本は、1997年に発刊された学術雑誌『Citizenship Studies』の10年目に刊行された特集号に所収されたもので、政治学、社会学、法学、文化人類学、国際関係学の分野から citizenship を論じた理論的、実証的研究論文である。うち、5本は citizenship の概念の提示と整理、3本は地域の文脈から考察された citizenship、5本は9.11後の citizenship と今後の展開について扱っている。

10年間の本誌刊行の成果として、次の4点が挙げられる。第一に、citizenship には、地位、権利、アイデンティティの3つの構成要素があると理解されたことである。第二に、cosmopolitan, ecological, global, intimate, lived, multicultural, postcolonial, sexual, transnational などの形容詞を citizenship に冠することで、citizenship の概念を発展・拡大させたことである。第三に、日々の生活のなかで、citizenship がどのように経験され、交渉され、成立されてきたかを豊かな実証的研究とともに提示したことである。第四に、人口移動、宗教、教育、軍国主義、先住民運動、環境主義ポリティクス、社会正義、監視、国外退去といった様々な実践から citizenship を理論化したことである。

しかしながら、積み残している課題もある。まず、議論がヨーロッパやアメリカなどの国々が多く、アジアやアフリカ地域を扱った論文が少ないことである。Citizenship の概念が生成され、認知される歴史的背景や政治社会的環境、構造的要因は各国において異なる。そのため、citizenship が西洋以外の人々にいかなるものとして認識され、生きた経験としてどのように機能してきたかを調べることが必要である。次に、citizenship は常に時代とともに再構成、再定義される一方で、グローバル化し、citizenship を必要としない人々、すなわち post-citizenship の時代にも突入してきたことである。これらの人々にとっての citizenship とは何か、国家はとの関係はどのようなものか、国家は今後、どのような機能を持とうとしているのかを探究することが求められる。最後に、今日、現実や研究において citizenship の範囲が広がりすぎているきらいがあり、その背景として citizenship という語がなぜ使用されるのか、そこにどういう意図があるのかを理解してくことである。

(渡邉暁子)

柄谷利恵子『移動と生存――国境を越える人々の政治学』(岩波書店、2016年)

これまでに出会った湾岸アラブ諸国のアジア系移民二世は、シティズンシップがある国に行きたいと話していた。湾岸アラブ諸国において物質的な豊かさは享受しながらも一時的かつ不安定な滞在資格しかない彼らの多くは、将来の安全を欲し、そのために移民にシティズンシップを与える国に最終的に移住したいと考えている。そこで、移民と安全について分析した本書を手にした。

本書は、移民の安全というテーマを中心に置きながら、国境管理を行う国家、移動しない人たちの立場、国際組織や制度なども視野に入れて、グローバルな移動が日常化している今日、いかなるシティズンシップが求められるかを論じている。全体は3部構成になっており、「第1部 移動の時代のシティズンシップと移動性」(1~2章)では、移民とシティズンシップに関する議論を概説したのち、著者による移動と安全に関する類型化の図が示されている。「第2部 移動から安全な日常を求める挑戦」(3~5章)は、上記の類型に合わせ、女性移住ケア労働者、国際養子縁組における養子、グローバル・エリートという3タイプの移民の例を取りあげ、それぞれの置かれる状況を記述している。そして「第3部 移動と安全をめぐる制度の諸相」(7~9章)において、人の移動を管理する制度を概観し、国家と個人の関係のあり方は再考が求められる時期になっていると指摘して、さまざまなタイプの移民がいることを考慮しながら彼らの権利保護のためには複数の基盤が必要だと提言している。

第1部の移動と安全に関する類型の図で「移動性の落伍者」というカテゴリーに入る例として国際養子縁組の養子が挙げられているのはなぜかなど、若干違和感を覚える部分はあるものの、全体としてバランスがよいうえに、移民・難民問題としてニュースで話題となった出来事も各所に散りばめられており、読みやすかった。また、第1部に簡潔にまとめられている分析枠組みは、多数かつ多様な移民が暮らす湾岸アラブ諸国の状況を整理して考えるうえで参考になった。ただし、本書が視野に入れている地域は欧米と日本に限られているため、湾岸アラブ諸国を含め、欧米や日本以外の地域にも当てはめる場合には、文脈を十分に吟味する必要がある。

本書が冒頭で述べているように、シティズンシップという概念は特に日本語では分かりにくい。本書は、移民国に従来からいる人たちの安全にも留意しなくてはならないと述べながらも、全体では移民の安全という側面に絞って議論を展開しているので、論点が明解になっている。このスタンスも、本書の特筆すべき点である。

(細田尚美)

Migrant Cuisines in the Arab Gulf States


レバノン料理は「おふくろの味」の一部というフィリピン移民二世とインド・フィリピン移民の混血の二世。ここでの注文はアラビア語で。(アブダビ photo taken by Naomi Hosoda)


日本風レストランには特にアジア系移民が多く集まる(ドバイ photo taken by Akiko Watanabe)


フィリピン人の好みに合わせた定食を提供するファストフード店(ドバイ photo taken by Akiko Watanabe)